四無量心という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
四無量心とは「悟りのための心の在り方と行い」についての教えで、
常に意識した方がよいと言われる、気持ちの持ち方のこと。
「四つ」の「無量」の「心」
無量というのは「この上ない」「計り知れない」という意味で、
この四つの心をいたるところに無限に広げる瞑想を
「慈悲喜捨の瞑想」「四無量心の瞑想」と言ったりします。
これは大乗仏教では「抜苦与楽」、ヨガスートラでは1-33に同じようなことが書かれています。
慈悲喜捨
まずこの四つの心についてお話します☆
慈(慈しみの心)
自分よりも弱いものを大切にすること。
相手に対して深い愛情を持つこと。
他の人が幸せな気持ちのまま過ごせることを願う気持ち。
他の人が心から楽しくなるように努力する心。
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友だちの幸せ話を素直に喜べない。
「自分は満たされていないのに、他の人は満たされている」と常に比較して評価してしまう。
そんな感情があるときは、
自分の内側ではなく周りとの比較で幸せを求めたり、評価するという癖がついているかもしれません。
自分と同じように他者を愛する、思いやることで、
「慈しみ」の心は自然に生まれてくると言われています。
悲(哀れみの心)
ほかの人が苦しむことについて一緒に苦しみ、
その人が抱える問題を少しでも軽くしたり取り除こうとする心。
同情の心。
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「他人の不幸は蜜の味」
敵対している相手の不幸を心の奥で喜んでしまう。
そんな時に相手の立場も自分のことのように、広い心で考える。
一緒に悲しみ、痛みが少しでも軽くなるように祈ったり、痛みを取り除こうとする気持ち。
相手の立場も自分のことのように考えられる広い視野を持つことで
「悲」の心は自然に生まれてくると言われています。
喜(喜びの心)
人々の日合わせな姿を見て、喜びの心を起こすこと。
相手の喜びを自分の喜びと感じる心。
他者の幸福をねたまない。
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人の幸福を自分のことのように喜んだり、という心だけでなく、
善い行いをしている人に対して賞賛を送ったり、
見習って自分も同じような行いをすることも含まれます。
自分とは違う考え方も、お互いに認め合うような意味もあります。
捨(偏った考えのない心)
自分の偏見からの判断や、好き嫌いによる差別の心を捨てること。
平静、平穏な心。
すべてのものに対しての囚われを捨てること。
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他の人の愚行に対しての関心を捨てることも含まれます。
これはほかの人の悪事を責めることで「自分の方が正しい」という優越感を感じるため。
思い込み、偏見から判断する心から離れた状態のこと。
つまり四無量心とは、
すべての対象に対して慈悲の気持ちを抱き、自他を分けず、恨みなく平等で差別もなく
落ち着いた心で、執着のない気持ちを持つこと。
もちろん実際にこんな気持ちを常に持ち続けられる仏様のような人は
なかなかいないと思います(笑)。
にんげんだもの。
でも、
自分の心に発生している怒りや貪りに気づき、慈悲喜捨の気持ちで
心を穏やかなものに書き換える。
四無量心を無限に広げ、煩悩を善い行いの気持ちに書き換える。
すべてではなくても少しずつ繰り返すことで、
ほんの少しずつでも私たちを苦しめる煩悩が、減ってくるかもしれません★
幸福な人に対して、慈しみの心、思いやり、一緒に喜ぶ心を持つ
自分の内側のねたみの感情に気づいたときには
それを喜びへ書き換えてみる。
自分が苦しみから解放される方法でもあります。
不幸な人に対して、慈悲、哀れみの心を持つ
他人の不幸を一緒に悲しむ心をもz日、一緒に状況を受け入れて同情する。
問題の直接的な買いけるにならなくても、
相手よりも優位に立ちたいという傲慢な考え方を手放すことができます。
素晴しい人に対して、素晴らしいと思える素直さ、喜ぶ心を持つ
素晴らしい人を称える、相手に対して尊敬の心を持つ。
これは自分が一歩前進するための、
成長の助けになります。
悪い人に対して、無関心でいること。執着しないこと。
自分だけの小さな理解、小さな世界で判断することなく、
そのままにものを見る。
良い意味で無関心でいる。
因果の法則というものがあり、誰かが裁いたりしなくても相応は変化や報いは来るもの。
自分は心をかき乱されることなく、穏やかに過ごすために、
執着はしない。
慈悲喜捨の瞑想
安定した座り姿勢で、自然な呼吸を繰り返します。
そして吐く息に意識を乗せて、吐く息ごとに体が柔らかく穏やかになっていくのを感じてみます。
その穏やかさが、吐く息の時に体全体へ広がっていくのを感じてみます。
●まず、慈しみの心を体全体へ広げてみます。
人の幸せを願うとき、幸せなまま過ごすことを祈るとき。
その時の心の柔らかさ、穏やかさを思い出しながら、
その心を体の隅々まで広げてみます。
●哀れみの心を体全体へ広げます。
大切な人が悲しんでいるときに、同じように悲しく感じる心の温かさ。
その人の痛みが少しでも減るようにと願うときの、心の穏やかさ。
それを体全体へ広げます。
●喜びの心を体全体へ広げます。
素晴らしい人を見た時、他人の幸せを見た時、
笑顔でいる人のそばにいたら、自然と笑顔になってしまうような、
そんな穏やかな心を、体中に広げてみます。
●平静な心を体全体へ広げます。
これは少しイメージしにくいかもしれませんが、
例えば他者に対して、怒りの感情を持ってしまったとき。
「相手はこうやって感じていたのかもしれない。私とは違うところから考えていたのかもしれない」
と諦めにも似たような感情を持った時。
心がスッと柔らかくなる感覚はわかるでしょうか?
そんな平静な、自分の偏見を挟まない穏やかな心を、体全体へ広げます。
身体が温かくなったのを感じて、
もう十分かな、と思ったら、
瞑想の練習を終えましょう。
嫌な感情が生まれた時に。
誰かに対しての怒りだったり、イライラだったり。
嫌な感情を持ってしまう自分を許せなかったり、つらくなったり。
そんなときに、この瞑想や慈悲の瞑想を練習してみてください。
ちょっと許せる自分もいたりして、
少し心が楽になるかもしれません。
そして瞑想の練習では(繰り返しになりますが)
目を閉じて座る、ということの方が落ち着かないときがあります。
特に精神的な疾患をお持ちの方は決して無理をせず、
自分に合わないな、と感じたときには
一度瞑想の練習をお休みして、体を動かすヨガなどを試してみてください◎