瞑想に対する思い込み

ヨガや瞑想についての読み物

「瞑想のクラスをやっています〇」
というと、日本では未だにちょっと怪しい、と感じる方が多いようです。

過去に大きな事件を起こした団体が、
ヨガの用語を使用していたことが大きな原因となっていると思いますし、
そう捉えてしまうのも、当然のことだと思います。

でも逆に、精神科医を志す医大生がアメリカへ留学した時の話に、
こんなものがありました。

精神科医になるための勉強なので、
「マインドフルネスストレス低減法」については
必ず学ぶそうです。

そして現地の学生と瞑想の練習をする習慣について話していた時に、
その日本人学生には瞑想を行う習慣が全くなく、やっていない。
と答えたそうですが、
「日本人なのに、なぜ瞑想をしないのか??」と不思議に思われたそう。

インドと日本は離れているし…
アジアでくくられても…とも思いましたが、
でも仏教徒が多く、お寺も多い日本に住む学生に瞑想の習慣がないというのは、
おどろくかもしれませんね。

最近では多くのエビデンスもでていて、研究も進んでいるため、
瞑想が与える精神的な問題に対する効果への関心は、高まっていると思います。

今日はそんな中で、
瞑想に対してよく思われているけど、実はそうでもないこと、について書きたいと思います。

瞑想の種類

以前の記事にも書いたかと思いますが、
瞑想には本当に多くの種類があり、「どれが正しい」とは言えません。
(どれが正しくて、どれが間違っている、という考え方そのものが、
ヨガの目指していることと真逆へ進んでしまいそうですし。)

というのもそれぞれベースとなっている哲学や宗教が違うため、
または時代も変わり、瞑想法も多様化しているので、

どの瞑想が優れているか?ということも、特にはないと思います。

ただ瞑想の基本的な理論だったり、技術を学んで練習していくことは大切です◎

手放した方が良いかもしれない思い込み

では一般的な瞑想に対するイメージに対して、
そうでもないよー◎ということを
いくつか挙げさせてもらいます。

瞑想は何も考えない練習ではない

「無になるなんてできない!」
という言葉を聞きますが、無になる必要は全くありません。
人間は生きている限り、思考を止めることはまずできない、という大前提があります。

瞑想の練習でも
思考を抑圧したり、
減らしたり、
止めたりすることは行いません。
(無理だから笑)

瞑想の目的の一つとして、
思考や感情を適切に扱い、心を見る能力を磨く。というものがあります。

感情や思考が頭の中を駆け巡っても、
囚われない、引っ張られない練習をしています。


ネガティブな感情がいつまでも頭の中に残り、
胸が苦しかったり、心がざわついたりして
眠れない…という経験は誰にでもあると思います。

それを頭から追いやって忘れようとする。
なかったことにしようと、何も考えなくてもいい状況を作り出すのではなく、
(これでは薬物中毒です…)

それを受け入れて、手放す。
今考えるべきことではなく、
もし解決できる方法があるのならば、それに向けて一歩踏み出だす。
解決できないのであれば、感情に振り回されずに適切に対処する。手放す。

すごく当たり前のことですが、
感情に囚われているときは、これができなかったりもします。

そして瞑想の中で、
それがなかなかできない自分に気づく、ということも、
とても大切だと感じています。

瞑想は心地よくなるためのものではない

瞑想をしていて最初に感じ、つらかったこと。
それは自分と向き合うことで
イライラしたり、不安感が募ったり。
とにかく涙が出てきたり…。と、心地の良いものとは縁遠かったです笑。

心が鎮まる…というのはもう少し先のことで、
最初に気づくのは、自分の嫌な部分ばかり。


もちろんあまりにもそのことで苦しくなるようであれば、
座って目を閉じることでなく、軽く体を動かして、
体の感覚に集中する方が心が安定するかもしれません。

最初から
「心地よくなるかも…」ということを期待するのも
瞑想がなかなか続かない要因かもしれません。

期待せずに、
今の自分の感情や感覚を観察する。

難しいことですが、
その先を見ずに、今に集中することも、
とても大切ですよね◎

瞑想は自己を高めたり、自分を変えるものではない

これはヨガの練習でもいえること。
ヨガや瞑想によって、
自分が変わるわけでも、新しい世界が開けるわけでもありません。

ヨガや瞑想は
自分の一番内側の豊かで純粋で、
そして満たされている本来の自分に気づくこと。

↑↑
こんな風に書くと、難しく聞こえるかもしれませんが。

毎日まあまあ元気に過ごせて、
雨風をしのげる家があって、
ご飯を一緒に食べる家族や友達がいて、
暖かい布団で寝られる。

ちょっとだるくても、イライラしても、
ヨガのクラスへ行こうと思える健康がある。

そんなことを再確認するための練習です。


※自分を高めたい!という気持ちは、
 自分には今何か問題がある、と思っている自己否定の感情。

今の自分の心や体の状態を見て、
自分のどこにも問題がない、ということに気づいていくことを目的としています。

瞑想は自分軸を作るものではない

「自分の軸」
これは若干言葉の捉え方次第な部分もありますが、
仏教での考え方もそうですが、
自分の軸を作るということはエゴを高めるということ。

固定観念を強めるものにもなりかねません。

瞑想は、自分が本来持っている、
柔和な、許容力のある、純粋な部分に気づいて近づくこと。

偏見で固まってしまいがちな軸を作る。
のではなく、
柔和なマインドを作るための練習、という方がしっくりくる気がします☆

瞑想は不安や心配事をなくしてくれるわけではない。

不安や恐怖というのは
自分の心の癖から生まれるもの。

その自分の癖に気づかない限り、
不安感が完全に消えることはありません。

瞑想で不安やストレスが完全になくなることは…多分ないです汗


ただ自分の不安やストレスと感じること。
心配事のパターンを知り、
それらに直面した時に、冷静に対処する。自分の選択肢を増やすための練習。
と捉えてみると良いかな、と思います。

今の自分で100点満点◎

ヨガや瞑想を始めて、
そしてヨガについて勉強する中で、

私が本当に感動…?というか、目から鱗だったことが
いくつかあります。


その中で、
「健康になりたい!と思って、ヨガスタジオに足を運んで、
今、こうしてここにいるだけで100点満点!」

という言葉がその中の一つです。


そして、
これで自分は今、十分に満たされている。
もちろんよりよく過ごすための努力は怠ってはいけないけれど、

今の自分は十分健康☆

と感じることの重要性や、
そして何より。
毎朝起きて、ヨガをしようと思える
その心と体の健やかさに、心から感謝しています。


もちろん、これが自分をとても苦しめるようなもの、として
感じるようなときは、
ヨガや瞑想をするよりも、
少し休息の時間をしてあげる。


そして朝起きて、
少し体を動かしてみようかな、
というくらいに健康になったら、
少し挑戦してみる☆というのが良い気がします♪


そしてヨガは必ずしもマットの上で体を動かす、というものでもありません。
いろんな形でのヨガとのお付き合いの仕方や、学び方、練習の方法もあると思います。


そして
「瞑想」というと少しハードルが高く感じられるかもしれませんが、

もしかしたら上に書いたような思い込みが
有るのかもしれません。


自分の偏見で、ヨガというものをとらえていないかな?
と考えてみると、
自然と他のことに対する、自分の思い込みが見える。
それに気づくだけでも、少し気持ちがリラックスできる感じがするなあ。

と思っています。

もし瞑想に対して偏見を持っているかも…
というときはぜひ、
「朝の瞑想クラス」で一緒に連取していただけたら嬉しいです🎵

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