瞑想の練習の中で少しお話しましたが、
ヨガの語源は「yuj」。
結合などを意味しますが、もともとは馬車の馬をつないでる軛(くびき)のこと。
繋がる…というのも色々な捉え方があったり、
その時その時で、ヨガの「繋がる」を感じる場面も違ってくると思います。
今日はその中でもメジャー(?)というのも変ですが笑
何と繋がるのか?のお話をしたいと思います。
自分と繋がる
繋がることには順番があり、
①自分と繋がる
②社会(周り)と繋がる
③自然と繋がる
④大いなるものと繋がる
自分と繋がっていないと不安定になり、周りと繋がることができないし、
周りとの繋がりを感じられないときはさらに不安定で、
もっと広い範囲を見渡すことや感じることができない。
というのはイメージできるでしょうか?
そしてこの自分との繋がりを深める方法の一つとして、
ヨガや瞑想があります。
瞑想の練習をしていらっしゃる方はイメージしやすいかもしれませんが、
普段の生活の中では
自分の意識は常に外側へ向いていて、刺激にさらされています。
もちろんこの刺激が必ずしも悪いものなのではなく、
でもあまりにも振り回されるようなものや
自分の時間を必要以上に割いてしまうものは避けたいですよね。
そして自分の意識と体が完全に離れた状態というのは
とても不自然で、ストレスのかかること。
「今、ここ」にいる自分を感じて、
自分の一番安定した部分にいつでもアクセスできるようになると、
周りの刺激や、それに対して反応する自分の感情に
振り回られることが減るかな、と思います。
そんな風に自分との繋がりを妨げるものが3つあると言われています。
判断すること
自分との繋がりを妨げるものの一つ。
「判断すること」
自分の偏見、思い込み、自分のフィルターを通した状態でものを見て、
良い悪いを判断し、決めつけること。
本当の姿はもっと違うものかもしれないのに、
自分側から見たことだけが真実と思い込んでしまうこと。
これが自分との繋がりを妨げるもの。と言われています。
比較すること
2つ目は「比較すること」
周りの人との比較、昨日の自分との比較、
でもこれは自分自身ではなくて、人との比較によって成り立つ自分の今いる場所、になってしまいます。
周りの状況が変われば、
またそれに振り回されて、自分の場所も変わってしまう。
自分が世界を見ているフィルターが変わった時にも、
自分の場所が変わってしまう。
繋がりたいのは、
内側の、いつも穏やかな自分の一番内側。
比べて浮き出てくる部分と繋がるのとはちょっと違う。というのがイメージできるでしょうか?
拒絶すること
これも少し判断に似ていますが、
瞑想中に周りの音がうるさくて、その音の元に嫌悪感を抱いたり、
排除したりしようとしたことはありますか?
(私はあります(笑))
痛みや苦しいことに対して、すぐに反応し、
自分の手の届かないところ、見えないところへすぐに追いやろうとする。
これも自分と繋がることの妨げになると言われています。
瞑想中に練習してみる
これは一つの提案ですが、
瞑想中にもし判断している自分、何かと比較している自分がいたら、
それに対してすぐ拒絶するのではなくて、
そんな考えが浮かんだことに気づいてみる。
「〇〇を良いと判断したな。」「△△と比較したな。」
そしてそれに対して自分の感情や体がどんなふうに反応したか、というのも観察してみます。
急に肩に緊張が生まれたり、
呼吸が荒くなったり。
すぐに頭の中から追い出そうとしたり、
姿勢を変えたりするかわりに、
じっと座って観察をしてみます。
そんな風に考えた自分を、少し遠くから見てみる。
そのマインドの動きも観察する。
それを繰り返していくと、
自分の内側の穏やかな部分に気づくときがあるかもしれません。
私は練習していてもなかなか内側までたどり着けず、
眠気に負けたり、集中力がそこまで持たなかったりしますが、
良かったら瞑想を深めるためにも、
そんな練習をしてみてください☆
そして自分と繋がることができると、
周りとも繋がることができて、
自分に安定感が生まれます。
自分と繋がる。
を感じてみてくださいね☆