9月からのテーマにしている
ヨガスートラの八支則。
そしてその中から今
するべきこと「ニヤマ」について学びながら練習をしています。
今日はシャウチャに続き、ニヤマの二つ目である
「サントーシャ」
について少しお話したいと思います。
足るを知る(知足)
サントーシャとは
自分の周りの人や物、状況、与えられた体や能力、役割など
今あることを受けとめることができる態度を養うこと。
そして常にそこから学ぶ姿勢を持っていること。
当然ですが誰もが好きなものや人にだけ囲まれて
好きなことだけをして生きているわけではありません。
でもわかっていても他の人と比較したり
今あるもの以上のものを、必要以上に求めたり、
落ち込んだり。怒りが沸いたり。
世界に起こることはすべて必要があって起きている。
と言われてもなかなか受け止めることはできません。
私の中でサントーシャの捉え方として、とても腑に落ちるものがあったので、
ここでシェアさせてください✏
幸福には三種類あるとされています。
セロトニン的幸福
セロトニン的幸福とは、一般的に「失って初めて気づくもの」と言われます。
ごく当たり前に感じるそこそこ健康な心や体。
毎日寝る布団があること。雨風をしのぐことのできる家があること。
空や空気がきれいだと感じること…。
これが一番の幸福の土台となります。
オキシトシン的幸福
オキシトシン的幸福は人とのつながりや交流によって感じられる幸福のこと。
例えば家族と安心できる時間を過ごしたり、
大切な人とハグをしたり。
または植物の手入れなどをしているときに感じられる幸福も、このオキシトシン的幸福に含まれます。
ドーパミン的幸福
ドーパミン的幸福とは、何か目標を達成したときなどに得られる幸福のこと。
周りから高い評価を得たり、欲しかったものが手に入ったりしたときに感じる幸福です。
このドーパミン的幸福というのは、達成するための行為が伴われ、
「成功」「失敗」という結果も伴います。
こうして並べるとなんだかドーパミン的幸福が悪者のようにも見えますが、決してそんなことはありません◎
何かを成し遂げたい!達成したい!もっと良いものが欲しい!
という気持ちがあって、私たちは日々成長し、私たちの生活もよりよくなっていっています。
ただ問題なのは、
このドーパミン的幸福に振り回されてしまうこと。
そして大切なのが、
ドーパミン的幸福もオキシトシン的幸福も、
セロトニン的幸福があってこそのものであるということです。
セロトニン的幸福を感じることができない状態で
ドーパミン的幸福を追い求めてばかりいると
中毒性のあるドーパミン的幸福にとらわれてしまい、
どれだけ手に入れたとしても、「もっと、もっと」の気持ちが強くなってしまう。
そしてその欲に振り回されてしまいます。
セロトニン的幸福を感じることのできる「心と体の健康」
それがサントーシャの一つではないかと思っています。
そして一つ心に留めておいてほしいことは、
無理に「自分は満たされているはずだ!」「苦しく感じるなんて、自分は怠け者だ!」
と言い聞かせる必要はないということです。
この幸福感がよくわからない。
幸福だと感じられない自分はダメな人間なのかもしれない。
と考えてしまうときは、まだ心に栄養が足りていないのかもしれません。
私もヨガ哲学は大好きですが、
心が弱っているときには、刃のようなものにもなり得ると思います。
もしサントーシャ(だけではもちろんありませんが)を心がけることが苦しかったり、
自分を責めてしまうようなときは、
とりあえず休息をとるのが一番☆
自分に一番合った形で、
ヨガの哲学を生活に取り入れてみてください✎
「我唯足知」
京都の竜安寺でも有名な言葉ですね◎
自分の健康、今ある体に感謝をすること。
大切にしてみてください。