体が痛くなる、しびれるとき
10分、15分、と瞑想の時間が長くなってくると、
足が痺れたり、痛くなったりすることはありませんか?
私は足ではなくて腰が痛くなったり、
おしりが痛くなったりして、
座り方を変えたり、座布団を慌てて持ってきたり…なんてことがよくあります。
(最近は前もって用意しますが(笑))
よくある足の痛みや痺れに対して、
どんなふうに対処していけばよいのか??について、
今日はお話させて下さい✐
外的環境を整える
まずは生まれてくる痛みに対して、外的環境を整えます。
●膝や足の痛み、痺れ
…なるべく締め付けない服を選ぶ(レギンスよりもアラジンパンツやジャージが良いかな、と思います)
●腰やお尻の痛み
…腰の痛みは姿勢の悪さからくることが多いです。
ブランケット、クッション、ボルスターなどを使用して、膝が下にくるように座ってみましょう。
おしりの痛みもクッションなどを使用します。
●首の痛み
…手の位置が原因になることが多いので、膝、太もも、自分のリラックスできるところへ手を休ませます。
可能な限り痛みを取り除きますが、それでも痛みが続くときは、
「痛みを集中の対象としてみる」
ということを試してみてください。(怪我につながりそうな痛みを除く)
痛みを瞑想の対象にする
体の痺れや痛みが強くなってくると、なかなか呼吸へ集中することは難しいと思います。
かといって環境を整えてもなかなか改善されないものがあれば、その痛みそのものを瞑想の対象とします。
ここでポイントとなるのは、
痛いからといってすぐに立ち上がったり、体を動かさないようにすること。
そして、
無理やり痛みを追い出して、呼吸に意識を戻そうとしないこと。
そこにある痛みを、純粋に観察します。
そうするとシンプルな痛みの感覚だけではなく、痛みへの抵抗が感じられると思います。
これは身体的抵抗と精神的抵抗。
身体的抵抗というのは、痛みのある部分に生まれている筋肉の緊張です。
この緊張=抵抗を感じて、その抵抗に気づいたら、少しずつ緩めてみましょう。
そして精神的抵抗。
心の緊張も現れます。
これは心が痛みを抑えようとしたり、意識から取り除こうと、痛みを拒絶することから生まれる緊張です。
この緊張を緩めるのは難しいと感じるかもしれませんが、
体の緊張と同じように吐く息で緩めるイメージをしながら、観察をしてみてください。
なかなか消えない緊張、抵抗、そして痛みに、
変化が生まれてくると思います。
頑張りすぎているとき
これは私の、瞑想に対してだけでなくいろんなことに対して感じることですが、
「頑張りすぎ」の理由は『欲』ではないかと思っています。
もちろん「欲」というのは必ずしも悪いものではなく、
例えば試験勉強だったり、何か成し遂げなければいけないことだったり。
欲がなければ努力もできませんし、常に現状維持になってしまいます。
(私は現状維持という言葉が大好きですが、これはすぐに頑張りすぎてしまう自分への戒めです笑。)
欲や何か不足を補おうとする心がなければ、
私たちの生活も今のように便利にはなっていません。
「より良くしよう」と頑張ることは大切なことだと思っています。
ただ瞑想に(瞑想でなくても)執着したり、頑張りすぎて眉間に力が入っていたり。
または「今日はうまくいかなかった…」と落ち込んだり。
これは結果に期待して、欲張っている。という面があるかもしれません。
結果に期待している、欲張っていると、
心も体も張りつめて、緊張状態が生まれます。
そうすると瞑想どころではないし、気づく…ということからはかけ離れてしまいます。
もし瞑想を頑張りすぎている、いつも練習の後に首や肩のあたりが緊張で疲れている、深刻に考えすぎている、
という感じがしたら、
または期待している、欲のある自分に気づいて、
その緊張、頑張りすぎている状態、期待、欲を観察してみてください。
痛みや眠気と同じように観察して、その変化を見つめてみます。
一概には言えませんが、
気づくと消えていることが多いです★
消し去ろうとしないこと
眠気、痛み、痺れ、だるさ、頑張りすぎる心。
どれも悪いものではなく、人間なのであって当然のものばかりです。
自分から排除しようとしたり、取り除こうとしたり、「そんなこと考えちゃだめだ!」と自分を責めたり。
ついついそんなことを考えてしまいますが、
これらをすべて瞑想の対象にしてみてください。
もちろん排除しようとしていることも、観察をしてみます。
瞑想の練習中の自分の中での善し悪しのジャッジは、
自分の偏見から行っていること。
そして自分の感覚や感情というのは、すぐに変化して消えていくものが多かったりもします。
それを少し俯瞰して観察する。という練習を、
瞑想中に問題が起こった時に、やってみてくださいね。