
今瞑想クラスで練習している呼吸瞑想では
自分の呼吸、呼吸の長さ、自分の体や感覚に気づく。
という練習をしています。
その中で私が、瞑想ってこういうものなんだ。とイメージしやすかった例えがあったので、
こちらに書かせていただきます。
感覚の観察
瞑想やヨガの練習をしていると、
自分の中にいろいろな感覚が生まれては消えていくのが感じられると思います。
さっきまで気になっていた体の感覚がいつの間にか消えていたり、
また別の場所に正体不明の感覚が生まれたり。
私たちの感覚は、絶えず変化して、生まれては消える…を繰り返しています。
瞑想の練習では、その感覚の変化や感覚に対する自分の無意識の反応などを客観的に観察して、
その感覚、自分の思い込みに囚われないようにする、ということも行います。
その中でどんなふうに感覚の変化に気づくのか???
感覚というのは
「河」のようなもの、
とアナパナサティ・スートラ(呼吸瞑想の経典)では説明しています。
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一つ一つの感覚は、水のしずく。
心地よさ、不快感、またはそのどちらでもないニュートラルな感覚(人間の感覚はこの3種類と言われています。)のどの感覚も、他の感覚の影響を受けながら生まれ、成長し、消滅していく。
感覚の観察とは、
感覚の流れの岸辺に腰を下ろし、
一つ一つの感覚が生まれ、育ち、消えていくまでを確認することである。
———ブッダの呼吸の瞑想/ティクナットハン著 より
感覚に溺れたり、おびえたり、拒否することはせず、
善悪の判断を(自分の偏見によって)行い、
心の中に争いを作らない。
そのためにどんな感覚も受け入れ、観察をしていく練習です。
この自分の偏見からの誤解、思い込み、ジャッジが
人の苦しみを生む、と言われていて、
実際に5分だけでも座っていると、
自分の中に生まれる感覚や、感覚だけでなく思考に対しても、
本当に無意識のうちに善悪のジャッジをしていることに気づきます。
それを一つ一つひも解いて、理解して、
その感覚にとらわれないようにする。
最初はマットの上で練習しているだけでも、少しずつ自分の暮らしの中にそんな考え方を入れていけたら、と思って練習しています★

思い込みはあって当たり前のこと
私たちの脳にはいろんなバイアスがかかっています。
でも決してそれがすべて悪いわけではありません。
そのバイアスによって、自分の心や生活を守っている。という側面もあります。
ただ苦しくなるのは、
それが自分の偏見によるもの、と気づかずに、
「真実はいつも一つ!」
と、その自分の思い込みに囚われてしまうこと。
感覚の河を、岸辺からゆっくりと観察して、
変化していく様子を見ながら、
自分の考えも、身体も、
全てのものが無常であることを理解しながら暮らしていく…。
気が遠くなるような話ですが、
時々そんなことを思い出しながら生活できたらいいな、と思います。
